古の昔に1度だけクリアしたプレイヤーが、十数年ぶりに改めてFF5をプレイして思ったことや今も残る疑問点などを振り返り。
私がプレイしたJRPGの中でも結構初期の方の作品で、初回プレイで感じたのは「特徴も無く記憶に残らない作品」という感覚。
これは私の中でFF4をプレイした時の感動が大きく、FF5に対する期待が大き過ぎたからだとその当時は考えていましたが、その後様々なFFシリーズプレイし今回改めて最初からFF5をプレイし直した結果、FF5は間違いなくシリーズ最下位という評価になりました。
では何故FF4を楽しめたプレイヤーがFF5に対しての評価が低いのか、理由を具体的に1つずつ列挙してみます。
その前に、今回プレイして改めてFF5のストーリーとシステムの理解を深めるために以下のプレイを行っています。
- 可能な限りNPCの会話をチェックする
- 設定や時系列のイベントなどは細かくメモを取る
- 可能な限り戦闘をスキップしない
- 可能な限り宝箱の全回収を目指す
- 特定のボスモンスターなどを知識ありきの討伐をしない
- バッツとファリスには物理系火力を担当できるよう育成
- レナとクルルには魔法系火力と補助を担当できるよう育成
- 開発が意図していないだろうバグ技を使用しない
- クリア前までに全イベントを消化する
これらを踏まえた上で、疑問に感じたことや腑に落ちない設定などを理由として挙げています。
ちなみに、クリア時のステータスはこちら。
全ジョブをマスターしてからクリアしたのでLvが結構上がっていますが、次元の狭間に到達した時点のLvは30台前半だったので通常プレイであればネオエクスデスがFFシリーズのラスボスの中でも上位にくるくらい弱いことを考慮するとLv30台後半からLv40台前半程度でクリア可能だと思います。
ストーリーの問題点
誰もが展開を読めるストーリー展開
最初にPTメンバーとなる4人の中でガラフだけが突出して他3人と比較して年齢的に大きく離れており、序盤の船の墓場にて最後にセイレーンが相手の記憶から親しい人間の幻を見せて…というイベントシーンでガラフのことをおじいちゃんと呼ぶクルルが出てしまった瞬間に「途中で能力を引き継ぐ交代劇の可能性」を疑わないプレイヤーは少ないと思いますし、これはその後の第2世界での戦いの中でもエクスデスを封印した暁の4戦士がどんどん死んでいく展開(バッツの父親は既に故人ですが)になっていくことで疑惑が確信に変わるでしょう。
また、2つの世界は元は1つだったという設定も地図上の特に南側にあるもう少しで陸続きになりそうな小島群や、岩で囲まれて完全に降りられなくなっている建造物を見てしまうと第2世界に転移後にある程度MAPを移動可能になった時点で元は1つだったということに対して早期に予想できたプレイヤーも多かったのではないでしょうか。
個人的にはゲーム開始数分後に生死不明になったタイクーン王がその後はエクスデスにいいように操られてそのまま死亡というのが一番驚かされました。
悪い意味で「予想を裏切らない・予想通り」のストーリー展開です。
2つの世界が1つになるという設定
FF5の世界は元は1つの世界が1000年前にクリスタルと共に2つに分離されて第1世界(バッツ側)と第2世界(ガラフ側)になった、という設定が物語の中盤辺りで明らかにされます。
これは1000年前にはエヌオーという無の力を操る魔導士がおり、エヌオーは伝説の12の武器を持つ人間との戦いの末に倒されたもののエヌオーの操る無の力は消えず、この無の力を封印する為に1つだった世界を2つに分割しその世界にあった4つのクリスタル(火・水・風・土)も2つにわけて第1世界と第2世界の間に出来た次元の狭間と言われる空間に無の力を封印した、という経緯があるためです。
この設定はそのものについてはタイトルにもファンタジーを冠しているゲームなのでそういうものかな程度に納得は出来るのですが、問題は視認出来る訳でも知覚出来ている訳でもない第1世界と第2世界を行き来する手段として「隕石を飛ばしてそれに乗って人がやってくる」という設定にプレイヤーとして全然ピンとこないという部分。
これは例えば地球と月のように天体の別惑星同士を移動する手段として隕石を飛ばすということならまだ理解出来るのですが、第1世界と第2世界は同じ時間軸上にあっても次元の狭間を隔てて別の空間、次元に存在している空間(であるべき)なので、互いを行き来する方法が隕石を飛ばしてそれに乗ってくるというのはファンタジーとしても整合性が感じられず、逆にそこは隕石を飛ばすという行為が必要なのか?と思わずにはいられません。
しかも隕石の内部には世界間を行き可能なワープ装置がある(隕石だけ送り込んでワープだけすれば良い)のに、最初にガラフがバッツたちの第1世界に来たときは「乗ってきた」と言っている上にそのせいで結果的にはガラフはゲーム開始当初は記憶喪失にまでなっているので、やはりこの設定には必然性というか整合性が無いように強く感じられます。(ワープ装置は使うとエネルギー消費が激しいので節約のために隕石に乗ってきたと言われたらそうかもしれませんが)
また、無の力を手に入れるためにエクスデスは2つの世界を元に戻そうとしてクリスタルの破壊を行ったのですがこれについても「クリスタル4つを半分ずつにして8つになって世界が割れたのだから、8つをまた4つに繋ぎ合わせたら世界が1つに戻る」というのなら理解出来るのですが、何故クリスタルを全て破壊することが2つの世界を1つに戻すことになったのかが全く説明されていません。
エピローグの途中で、
「無」が最初にあった…
「無」に4つの心みちたりし時 クリスタルは生まれ 世界は作られた
すなわち
希望は大地にめぐみをあたえ
勇気は炎をともらせ
いたわりは水を命のみなもととし
探求は風に英知を乗せる
いつかまた「無」が世界をつつむ時
人々に4つの心あれば
光は生まれん
「無」にうかびし4つの心
ふたたびかがやきを生まん…
この文章が画面にスクロールするだけです。
無に4つの心が満ちてクリスタルが生まれ世界が作られたのであれば、クリスタルが全消滅した時点で世界も消えるのでは…?
例えばFF4のミシディアの伝承のように人々の間で古くから語り継がれている文献の一節である…などの話がストーリー中で語られることがあればこのタイミングで表示されるのもわかるのですが、唐突に何の脈絡もなくスクロールされるという謎演出です。
エクスデスが無の力に飲まれた小物だった事
エクスデスの正体は長老の木に人間の邪悪な意思が集まって生まれた暗黒魔導士であるということはストーリー中で明かされますが、それまでのFFシリーズにしては珍しく中盤から何度もストーリーに関わってくるキャラクターでした。
なので、エクスデスがラスボスになることについて違和感があるプレイヤーは皆無だと思うのですが、エクスデスが自身で操っていたかに見えた無の力に最終的に飲まれ、悟り切ったのか別人になったかのようにネオエクスデスとなり立ちはだかる展開には違和感を感じないプレイヤーは少ないのではないでしょうか。
これが最初に無を操ったエヌオーや、FF3の暗闇の雲のように無の力そのものが顕現して真のラスボスとして登場した方がFFらしいように思います。
ちなみに、エクスデスがネオエクスデスとなりあの姿で登場したのは「過去に無に取り込まれた存在と融合した姿」であるらしいのですが、そんなこと知ってもこれといって特に思うところがない、というのが正直な感想です。
エヌオーの扱いについて
世界を2つにわける原因を作ったエヌオーについてもゲーム内で語られているのは、
程度の話題で、それ以外は全く掘り下げられていないのでエヌオーの存在を定義する意味があるのか、と思わずにはいられません。
ラスボスが、
だったり、
だったらもう少しは納得が行くのですが…
エヌオーの情報について、最初は不死身だったのに無の力を手に入れたかわりに不死身ではなくなったということは「討伐可能な状態にするために無の力を獲得させた」とも取れる内容で、これはエクスデスについても物語で言及はされていませんが長老の木から生まれ不死身の存在だったエクスデスを討伐させるために無の力を手に入れさせた、とも考えることができます。(それが誰の差し金なのか浮かんでくる人物は皆無)
エクスデスは最終戦でダメージを与えると無に飲み込まれその後にネオエクスデスになりますが、エクスデスの状態では自身は不死身で完全に無の力を得たが不死身では無くなった状態がネオエクスデスという図式。(台詞で「私も消えよう」と言っているのが不死身では無くなったという意味)
これは考察の域を出ないのですが、本当にそういった意図があっての演出だったのかどうかが全くつかみ取れませんでした。
クルルの両親について
第2世界にてバル城の兵士に話しかけると「クルルが生まれてすぐに飛竜を助けるためにグロシアーナ砂漠に入り行方不明になった」と語りクルルの両親についてそれ以降のことが一切不明なのですが、この設定がクルルを無理やり両親不在かつおじいちゃんっ子にするために作られた設定のようにしか感じ取れませんでした。
そういうものだと言われればそれまでですが…
(このテキストを見た瞬間、Kanonの名雪シナリオで秋子さんを交通事故にしたのと同じ感覚になった)
レナの母親について
飛竜の塔のイベントにて「レナの母親は飛竜の舌を必要とする病に罹り、母親の命と飛竜の命を天秤に掛けた結果無くなった」という回想が入るのですが、これも無理矢理悲壮感を演出しているようにしか感じ取れませんでした。
ゲーム設計の問題点
やたらと取捨選択を迫ってくる
これは炎上するカルナック城から制限時間に追われながら宝箱の中身を回収する(初見プレイでコンプリートはまず不可能)だったり、世界が切り替わるごとに2度と取得できないアイテムや魔法があったり、終盤では町が丸ごと次元の狭間に飛ばされ入れなくなったりと、初見プレイでも何度もリセットし虱潰しでやっていかないと取返しが付かない事象がどんどん出てしまうという部分です。
こんなに時限シナリオや限定アイテムを用意する必要があるのでしょうか。
召喚についても、ゴーレムやラムウなどは取り忘れても後から次元の狭間で入手可能なのに、シヴァやカーバンクルは二度と取得できないという制限があります。
シヴァについてはウォルス城が無に飲まれるからというのと、カーバンクルについては第3世界になってからエクスデス城が無くなるので取れないというのは説明が付かなくもないのですが、だとしてもゴーレムとラムウが次元の狭間にいることについても説明が付きません。(第3世界になったとき、第2世界にあったはずのもの(エクスデス城だったりバリアの塔だったり)が無くなることについても説明が付かないのですが)
レベル上げする意味がほぼ無い
FF5はRTAなどの低レベルクリアを目的とするプレイでは全キャラの合計レベルが10程度でクリア出来てしまうゲームとして有名で、これはゲーム攻略する上で「レベルを上げることは重要ではなく、重要なのは攻略に必要なアビリティを取得しているかどうか」もしくは「対策アイテムを装備しているか」というシステムだということを雄弁に物語っており、初見プレイでも二刀流やみだれうち、その他回復や補助系アビリティを取得していればLv40台前半くらいで簡単にクリア出来てしまいます。
逆に言うと、どれだけレベルを上げようと直接与ダメージに関与しないアビリティを持つジョブを選択してゲームを進めてしまったり、対策となる装備を持っていないと途端に攻略が難航してしまい、ジョブ選択の自由があるようで実際はそうではないという事実にプレイしてすぐに気が付く筈です。
これが周回プレイ前提のゲームだったりモンスター毎の弱点属性や対策などを完全に知っている上でのプレイであれば自由にジョブを選択できるのですが、1周で物語が完結するJRPGで複数回繰り返しプレイするユーザーは限られているでしょう。
また、必要なアビリティ取得が最優先される傾向から「経験値を多く獲得できるモンスターを倒す意味が皆無」であり「アビリティポイントを多く獲得できる弱いモンスターのみを高速で倒す稼ぎプレイ」が重要視され第1世界や第2世界の特定の場所での稼ぎプレイを行い後半をヌルゲーにしてプレイするのがデフォルトのような印象すらあります。
世界を跨ぐ前までに獲得出来るアビリティポイントの限界などを設定されていないことや、後述しますがお手軽な技と場所ですぐにアビリティポイントを稼げてしまうシステムにも問題があると思っています。
高威力低燃費のアイテムが序盤から使い放題
これは忍者のアビリティの「投げる」で使える忍術の巻物が強すぎるという点で、第1世界の中盤よりも前くらいには使えるようになる
- かとん
- すいとん
- らいじん
この3つの忍術はファイアなどのガ系魔法よりも範囲魔法としては威力が高い上に1つ200ギルと格安で、魔力が高いジョブに投げるのアビリティをセットするだけで終盤まで進めてしまいます。
それに加えて、この忍術が対応するロッドにてダメージが1.5倍される仕様も相まって「これ(忍術を投げる)以外の操作をする必要が無い」くらいにこの戦法が強く、
- 雑魚戦は忍術を投げる
- ボス戦も忍術を投げる
- 育成も忍術を投げる
と完全にゲームバランスが崩壊しています。
耐性や属性がガバガバ設定
手強い部類のボスでも即死魔法や即死効果のある武器で秒殺出来たり、寝かせてから魔法連打での討伐が可能だったりと「攻略が簡単になるかどうかは知識次第」で終わってしまう戦闘が本当に多く、加えて薬師の調合などのチート紛いの効果で無理矢理敵のLvを変化させてLv5デスを使用したり、弱点属性を作ったりと、まともに叩いて倒すボスがの方が少ない印象です。(この辺りもRTAで低レベルクリアが可能になってしまう要因)
ゲームクリア出来る程度のレベルでも正面から戦うと全く歯が立たないオメガや神竜も特定の防具や戦法ならほぼ完封できてしまうというのもゲームとして大味な作りに感じてしまいます。
伝説の12の武器に伝説感がまるで無い
はっきり言って伝説を冠するに相応しくないアイテム揃いで取得しても何一つ感動が無く、非常にがっかりしたプレイヤーが大半なのではないでしょうか。
その中でもまだ使える武器は、
ウィザードロッド:
複数の属性強化が可能で道中のエンカウントで忍術を投げるときに楽。
まさむね:
一部の敵(オメガ、神竜)にて確定先制攻撃が欲しい場合や、いの一番に行動してとんずらなどの逃走スキルを使用する場合に有用。
このくらいで、他は装備可能なジョブが限定的な上に種類によっては途中の宝箱で拾う装備にすら劣る性能の武器揃い。
エクスカリバー:
騎士剣なのでナイト以外はアビリティを付けないと装備できない。
聖属性だがそもそも第3世界に聖属性が弱点の敵が少ない。
むしろ聖属性で回復する敵が多い。
ルーンアクス:
斧なのでバーサーカー以外はアビリティを付けないと装備できない。
魔力依存で基本攻撃力が低くダメージに振れ幅があるので使い辛い。
賢者の杖:
聖属性を強化できるが使いどころが限定的。
さすけのかたな:
忍者刀なので忍者以外はアビリティを付けないと装備できない。
ファイアビュート:
鞭なので魔獣使い以外はアビリティを付けないと装備できない。
稀にファイガが発動するのでこの中ではまだ優秀な部類。
与一の弓
弓なので狩人以外はアビリティを付けないと装備できない。
アポロンのハーブ
竪琴なので吟遊詩人以外はアビリティを付けないと装備できない。
大地のベル
鐘なので風水師以外はアビリティを付けないと装備できない。
与ダメージが店売りアイテム以下。
見てわかるように、ジョブ限定の装備は該当のジョブ育成している間か、該当ジョブをマスターしてからすっぴんになることが装備の最低条件のようになっています。
たいした性能ではないのに…
その他の問題点
謎のマルチエンディング
ラストのネオエクスデス戦でネオエクスデスのHPを0にしたときに戦闘不能になっている味方キャラクターは「力を使い果たした」という流れになり飛竜に乗れず次元の狭間から帰還出来なかったということでエピローグが始まります。
その後、誰が帰還出来なかったのかで手紙を出すキャラクターだったり回想が表示されるキャラクターだったりが変化するのですが、エピローグの中でガラフに花を添えるシーンにて帰還できなかったキャラクターが降ってくるという展開に。
このエピローグ分岐、本当に必要なのでしょうか?
例えば、戦闘が始まる前やそれ以前の物語で「次元の狭間で倒れると戻れなくなる」などをプレイヤーに伝わるように仄めかしていたのならまだこれは成立する(だとしても違和感がありますが)かもしれませんが、何となく感動要素を加えようと無理矢理付けたようにしか思えず、有名な話ですが最終戦で誰が倒れているのかでエピローグを複数用意したにも関わずフラグ処理をミスしているので「全滅相打ちになった場合でもエピローグが進行し、エンディング終盤のステータス紹介が始まった瞬間にゲームオーバーになる」というやらかしを起こしてしまっています。
FF5をプレイしていて、このエンディングが変化する仕様は初回プレイのときに何度かゲームをクリアしたときから必要性を理解できませんでした。
エピローグや相打ちENDについてはこちらの動画が参考になります
https://www.youtube.com/watch?v=AIQ5zCBkR8Q
アビリティを変える毎にさいきょうを強制される問題
端的に言うと通常装備しない武器がアビリティを変える都度強制的に装備させられる、ということで具体的に言うと以下の装備などが該当します。
- エクスカリパー(必ずダメージが1になる)
- チキンナイフ(勝手に戦闘から逃げる)
- いばらのかんむり(徐々にHP減少)
- ボーンメイル(アンデッド属性になりケアル系で回復不可)
- のろいのゆびわ(死の宣告状態になり50カウントで死亡)
これらの装備は通常攻略ではほぼ使用されることのない装備で、使いどころや戦術を固定して初めて実戦投入するような性質のアイテムなのですが、数値としてのスペックが高いので装備の「さいきょう」が強制的に発動してしまうと装備したくないのに常に装備され、そのたびに装備の付け替えの手間が発生します。
拾わなかったり店売りすれば良い、と言われればそれまでなのですがアイテムコレクトの観点からそれもままならないので、アビリティを変えると装備が自動的に変更されてしまうことと、旧来のFFのようにデブチョコボがアイテムを預かるシステムが無いのが問題のように思います。
まとめ
色々なJRPGをプレイしてからファイナルファンタジーのネームバリューを全く知らずにプレイしていたら「5作もシリーズを作っておいて良い部分は育成の自由度くらいしかない」という感想になりそうな本作。(実際問題、2周目以降の知識を持った状態のプレイでなければ育成に然程の自由度も無い)
FF3からは育成システム面という意味では正当進化していますが、その反面戦闘システム面ではLv上げする楽しみが無く属性や知識頼みのプレイがRPGをプレイしているというよりかはアドベンチャーゲームやパズルゲームをプレイしている感覚に近くなってしまったという印象があります。
これには好き嫌いがあるとは思いますが、私個人の感覚としては、
- ストーリーはFF4以下
- 育成システムは総合してみるとFF3と同等かそれ以下
- 戦闘システムについてはJRPGとして並
くらいのの評価しか付かないと思っていて、この当時スクウェアが開発していたRPG作品として、
- FINAL FANTASY 4:1991/07/19(144万本)
- FINAL FANTASY 5:1992/12/06(245万本)
- FINAL FANTASY 6:1994/04/02(255万本)
に対して、
- Romancing Sa・Ga:1992/01/28(132万本)
- Romancing Sa・Ga2:1993/12/10(149万本)
- Romancing Sa・Ga3:1995/11/11(130万本)
となっており(wiki調べ)売上本数こそネームバリューのあるFFシリーズが大きくリードしていますが、ゲームをプレイする楽しさや満足感といったものはSaGaシリーズの追随を大きく許してしまった品質となったのではないでしょうか。
(それだけSaGaシリーズのクリエイターが凄いとも言える)
これらを踏まえ、FF5を楽しめる傾向にあると思われるプレイヤーの種類としては、
- 周回プレイに変化のないRPGを育成方法を変えて何度もプレイする
- 強い装備などを使わない縛りプレイをする
- むしろ使い道のない装備やスキルでプレイする
- 意識的な育成などを行わない縛りプレイをする
こういったプレイに重きを置くRPGプレイヤー以外にはオススメできない作品であると思います。
以降のFFシリーズではシナリオ担当が変わったりゲームシステムがどんどん改良されてより奥深いものになっていく(特にシナリオ)のですが、FF5について今回改めてプレイして感じたことは、このゲームの世間的な評価は当時のプレイヤーの想い出補正成分が高すぎるということで、FF5で実装された様々なシステムがその後のFFにほとんど引き継がれていないことからも開発側としても成功したとは思っていないのではないかという部分。
シナリオとゲームシステムの両面から改めてプレイして感じたことも多かったので、もし機会があれば世間的な評価や今回の私の意見を鵜呑みにせずに自分でプレイしてFF5という作品を体感してみてください。
2023/03/01 追記
このエントリー投稿後にFF5ピクセルリマスターについて改めて色々と動画にてチェックしたのですが、バグだらけでリリースされている(現在はどうなっているのか不明)のと、魔法や召喚の演出も劣化したとしか思えないものが多く、SFC版から仕様変更となったアイテムや魔法も「え、何故そうなったの?」と驚愕の変更が多すぎてヤバいです。
唯一改善されていると思える部分は「イベントが進む条件が時間経過だった箇所が軒並み短縮されている」ところくらい。